2013年1月7日星期一

日体大、掟破りの荒療治で30年ぶり10度目の頂点 箱根駅伝

日体大、掟破りの荒療治で30年ぶり10度目の頂点 箱根駅伝
65年連続出場していた日体大は、実に30年ぶり10度目の栄冠をつかんだ。

 ゴール直前、ユニホームに染め抜かれた「日本体育大学」の文字を突き出したアンカー谷永雄一(4年)。「強い日体大がここにいるんだぞ、と見せたかった」と誇らしげだった。前回は19位。予選会からの総合優勝は、1997年の神奈川大以来16年ぶり2度目の快挙である。

 前日の往路は1~3年だけの若い構成で優勝。しかし、復路では4年が好走した。10区の谷永に加えて7区の高田翔二、8区の高柳祐也と全員が区間2位の安定した走りで首位を守った。古豪復活を成し遂げた背景には、体育会の“鉄のおきて”とされる年功序列を覆した荒療治があった。

 惨敗に終わった1年前の大会直後、別府健至監督(46)は主将を新3年の服部翔大に任せることを決めたのだ。

 これに4年が反発。埼玉栄高の1学年先輩でもある高柳は「悔しいし、恥ずかしいし、納得できないと監督に直談判に行った。でも、お前たちには力不足だといわれて」と振り返る。

 実は、服部の父・重夫さんが前月に肺がんで死去。その事実を伏せたまま、服部は悲しい表情も見せずに1区で2位と責任を果たした。別府監督から伝え聞いた高柳は、打ちひしがれたという。

 「自分たちのことばかり考えていた。恥ずかしくて…」

 その後、4年だけのミーティングを開催。「俺たちが周りを見返すには、結果で服部を支えて存在感を示すしかない」と年下の主将の指示に従うと決めた。

 最上級生の意識改革なしには、復活はなかったのかもしれない。別府監督は「3年のキャプテンを4年がしっかり支えて、この1年本当に頑張ってきた」とねぎらった。

 また高校駅伝の伝統校・西脇工の前監督で、昨年4月から招かれている渡辺公二特別強化委員長(74)も「心をつないだ勝利だった」と称賛した。

 縦の関係が重視される体育会にあって、上下の逆転はチームを揺るがしかねない決断だったはず。しかし、このショック療法こそが名門をひとつにまとめ上げるのに役だったのだ。【関連記事】 寮食堂に自戒の「たすき」…日体大を復活させた改善策 箱根駅伝 震災で亡くなった姉に「いい報告ができる」 箱根駅伝で区間賞 8区で幻の区間賞 巻き返しを誓う中大の永井 箱根駅伝 左右に蛇行も…タスキつなぎ7位 明大監督「よく走ってくれた」 「山の星」が最優秀選手 箱根駅伝
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